昨年、人間国宝の認定を受けた。女方から立役、老け役まで芸域は幅広く、近年の充実ぶりが舞台に表れている。
「(人間国宝になって)僕自身は何も変わっていないのですが、やはり周囲の目は変わったように感じますね。
どんなときでも、どんな役でも、一定の水準以上のものをお見せしないといけない、そういう意識はより強くなりました」
今年四月の大阪・国立文楽劇場の文楽公演『彦山権現誓助剣』では、ヒロインのお園を勤めた。女ながらに力持ちで武術に秀でた女武道といわれる役どころ。しかし、婚約者の六助の前では女らしい振る舞いになる。 和生のお園は、その変わり目が愛らしくおおらかな芯の強さが魅力だった。
「自分でも楽しんでやってたかな」と振り返る。
「やはり、遣っていて楽しい役とつらい役がありますね。つらいというのは難しいということ。たとえば、『伽羅先代萩』の政岡や『仮名手本忠臣蔵』の戸無瀬。女方の最高峰といわれる役で、その場を牽引する責任もありますが、その分、やり甲斐もある。自分はだいたい、老女方の役どころの方が合っているように思います。苦手なのは、『桂川連理柵』のお半のような振り袖のかわいい娘。 遣っていて恥ずかしくなってくるんです」。 照れたように笑った。
若い頃から、同時期に入門した桐竹勘十郎、吉田玉男とともに、人形遣いの将来を担う「三羽烏」と言われた。
ライバルとして、同志として、切磋琢磨しながら芸を磨いてきた。 その三人が六十代から七十代の円熟期を迎え、文楽の人形陣を牽引する。
「三人それぞれ個性や芸風が違う。みんな師匠の役や芸を受け継ぎながら、自分自身の特徴もある。 それぞれの持ち役があり、それがあまり重ならず、お互いに相手役が出来るのもバランスがいいように思います」と言う。
「それに、 50年も一緒にやってきたので、ツーといえばカーというくらい、 呼吸がわかり合えるんです」。
決して派手な芸風ではない。だが、人物の内面を深く掘り下げた演技は、作品のテーマと重なり、文楽の舞台を豊かなものにしている。
人形浄瑠璃が盛んな愛媛県西予市の出身。 だが、人形遣いになるとは思ってもいなかった。 学生時代は、彫刻や物作りに興味を持ち、職人志望。 当時、文楽人形の首を一手に作っていた人形細工師、大江巳之助さんを訪ねたところ、後に師となる吉田文雀さんを紹介される。
「その日、師匠の家に泊めていただいて、芝居を見て大阪の千日前をうろうろしていました」。 初めて見た文楽の舞台は『妹背山婦女庭訓』。「人形遣いはしゃべらなくてすむ。自分はもともと一人でコツコツやるのが好きな人間でしたので、これならやれるかなと思った」と振り返る。
〝文楽博士〟の異名を取る文雀さんの弟子となり、文楽のこと、人形のこと、そして、古典芸能全般に教えを受け、有形無形の影響を受けた。 能や歌舞伎を見に行く文雀さんのお供をしたことは、和生さんの芸に深みとふくらみを持たせるものとなった。
「師匠は技術的なことを細かく教えてくれるというより、心や性根を独特の方法で教えてくださった」。
たとえば、ある時は、『卅三間堂棟由来』のお柳と、『芦屋道満大内鑑』の葛の葉はどこが違う?と質問される。
考えていると、「お柳には血が通ってないねんで」と。「そこからは自分で考えなさい、ということです。 葛の葉は動物の狐が化けた女性ですが、お柳は植物の柳の精。そういうことをわかった上で遣いなさいということです。おかげで自分で考えるクセがつきました」。
人形遣いに憧れてなったわけでない。 師のように舞台に激しい執着を持っているわけではないかもしれない、という。 「そやから、これからもっと年を取ったとき、どういうふうに人形を遣っていこうと思うのか、いつまでやっていこうと思うのか、正直、いまはまだわからないですね」。 率直な人である。
二人の弟子には、師匠から学んだことを伝えたいと思っている。
「伝統芸能とはそういうもの。 文楽という芸能を、質を落とさずに後世につなぐこと。それが使命だと思っています」
インタビュー中、その手にはずっと、師、文雀から譲り受けた老女方の人形の首があった。 「持ってないと落ち着かへんねん」と言いながら、「きれいな、いい顔をしてるやろ」とのぞき込む。 そういう和生さんの顔は柔和で、実にいい表情であった。
インタビュー・文/亀岡 典子 撮影/八木 洋一
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