轟音を立てて流れ落ちる大滝。滝壺のなか、色鮮やかな入れ墨姿の悪党、うわばみ三次が滝に打たれながら見得を極める。演じるのは中村勘九郎。と、思った瞬間、滝のなかで下男の正助に早替り。一人二役の立ち回りに、水しぶきが客席まで飛び散った。
五月、大阪松竹座「五月花形歌舞伎」で演じた「怪談乳房榎(かいだんちぶさのえのき)」。滝や階段、花道を使ってのアッと驚く瞬時の早替りの連続に、客席はおおいに沸き返った。
全身全霊で演じる勘九郎の姿に、二十六年前の父、中村勘三郎の面影が重なって見えた。
あれは平成三年七月、真夏の大阪・道頓堀の中座。関西の歌舞伎公演がようやく低迷から脱しようとしていた時代。「怪談乳房榎」を関西で初演した勘三郎(当時、五代目勘九郎)の八面六臂の活躍は当時、歌舞伎に見向きもしなかった関西の若者を熱狂させた。
「子供心に、あのときの中座の興奮はよく覚えています」。勘九郎は瞳を輝かせた。「客席がぎゅうぎゅう詰めでね。二階の階段に段ボールを敷いてお客さんがそこに座って見ているんですよ。本当におもしろかった」
その興奮が、今回の舞台でよみがえった。当時、勘三郎は三十六歳。いま、勘九郎は三十五歳。同年代で演じ、大阪を熱狂させた「怪談乳房榎」。勘九郎にとっても格別な感慨があったであろう。
歌舞伎界の革命児であり、大スターだった父の背中を追うように、父の当たり役、父の成し遂げた仕事を継承、果敢に挑み続けている。
役どころでは、「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」の団七九郎兵衛、「鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)」の鰯賣猿源氏…。父の夢の結晶だった平成中村座を弟の七之助と二人で引き継ぎ、「赤坂大歌舞伎」では、自身の意志で、劇作家の蓬莱竜太に新作歌舞伎を依頼、「夢幻恋双紙(ゆめまぼろしかこいぞうし) 赤目の転生」を見事に成功させた。古典は先人から受け継いだ型を守り、新作では現代の息吹を感じさせる舞台を作り上げる。
「歌舞伎を演じる上で、何よりも大切にしていることは、すべてはお客さまに喜んでもらうために、という精神です」
その日初めて歌舞伎を見る観客がいる。だからこそ、いつ、どこで、どんなときでも、全力で演じ切る。「二度、三度と歌舞伎を見ていただくために」と言い、「それが父が僕たちに残してくれた、一番大切なこと」。
今年二月、東京の歌舞伎座で、長男の三代目中村勘太郎ちゃんと次男の二代目中村長三郎ちゃんが揃って初舞台を踏んだ。中村屋が三代にわたって初舞台で演じ継いでいる「門出二人桃太郎(かどんでふたりももたろう)」。舞台では、幼い二人のわが子の背後から、温かい眼差しを送っている勘九郎の姿があった。
「大きな声で演じなさい。のびのびやりなさい、と、ただそれだけです。まだ、幼いですからね」という顔には、父のやさしさと、伝統を次代に伝えていかねばならないという歌舞伎俳優としての責任感がのぞく。
歌舞伎の芸の継承は“伝言ゲーム”に似ているという。「何百年も残り続けている古典作品は、これまでいったい何十人、何百人の先輩方が演じ、考え、研ぎ澄ませ、後世につないできたことか。私たちの仕事にはゴールもなく、正解もないからこそ、先輩方から教えていただいたことをきちんと後世に伝えていかねばならない使命がある。そうでないと、伝言ゲームのように、間違ったら最後、どんどん、とんでもない方向に行ってしまいますから」
近年は、重厚な時代物の大役にも挑んで新境地を開いている。平成二十六年十月には東京・歌舞伎座「寺子屋」で、片岡仁左衛門の松王丸を相手に武部源蔵を演じ、その苦悩を表現。昨年十二月の歌舞伎座では松王丸を骨太に勤め、この方面への期待を抱かせた。
今年十一月に、岐阜の加子母明治座、香川の金丸座、愛媛の内子座など、全国の古い趣のある芝居小屋を回って、「棒しばり」や「藤娘」を上演する「中村勘九郎 中村七之助 全国芝居小屋 錦秋特別公演2017」と、ホールを回る「特別公演」を行う。
「今後ですか? やってみたいお役を挙げればきりがありません。父の当り役の『髪結新三(かみゆいしんざ)』もそうですし、いずれは、父も演じた『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』の知盛、権太、狐忠信の三役完演にも挑んでみたいですね」
瞳を輝かせながらそう言ったあと、「でも、一番大切なのは、いただいたお仕事を精一杯勤めること。それに尽きるのではないでしょうか。そして健康でいること」
かみしめるように語る言葉は重かった。
インタビュー・文/亀岡 典子
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