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吉田玉助

KENSYO vol.108
吉田 玉助
Tamasuke Yoshida

 



吉田 玉助(よしだ たますけ)
1966年2月17日大阪生まれ。祖父は三代目吉田玉助、父は二代目吉田玉幸。80年7月、父・玉幸に入門、吉田幸助と名のる。’81年4月、大阪・朝日座で初舞台。立役の人形遣いとして活躍。2018年4・5月文楽公演で祖父の名跡を継ぎ、五代目吉田玉助を襲名。
’07年「平成18年度咲くやこの花賞」、 ’11年「大阪文化祭賞奨励賞」、’15年「第34回(平成26年度)国立劇場文楽賞文楽優秀賞」ほか多数受賞。



53年ぶりの名跡復活。五代目 玉助を襲名

 一七九センチの長身、男らしく華のある芸風と容姿で、時代物の勇壮な武将役がよく似合う。
 五十代のいま、いよいよ最前線に躍り出た。四月、戦後を代表する人形遣いだった祖父、三代目吉田玉助の名跡を、五代目として襲名。(四代目吉田玉助は、父の二代目吉田玉幸に追贈)玉助の名前が復活するのは、実に五十三年ぶりである。
 「祖父の舞台をご存じの先輩方も、(鶴澤)寛治師匠、(吉田)簑助師匠をはじめ少なくなってしまいました。文楽のファンの方々にぜひ、玉助という名前を知っていただきたい。そう思って襲名させていただくことにしました」
 祖父は、当代が生まれる一年前、昭和四十年に亡くなった。「生まれ変わり」という人もいた。父、吉田玉幸も人形遣い。文楽人形の家の三代目に生まれ、三人とも立役遣い。若い頃から漠然と玉助襲名は頭にあったそうだが、具体的に考えたのは、五十歳を迎える時だったという。
 「僕は、父である師匠が亡くなってから、ある意味、一匹狼のように生きてきました。近年、大きな役をいただくようになり、若手中心の『うめだ文楽』では芯になって活動させていただきました。五十歳になったとき、チャンスは今しかないと思ったんです」
 祖父は、「仮名手本忠臣蔵」の大星由良助、「絵本太功記」の武智光秀など、豪快でスケール豊かな芸風で座頭格の人形を遣い続けた。 人形遣いの人間国宝だった故吉田文雀からはよく、 「おじいさんは肝のすわった芸で、すごかった」と、聞いていたという。
 「そんなお話をうかがっていたこともあり、生で見たことはないのに、憧れていたんですね」と言う。「ただ、今の僕に足りないのは祖父の持ち味だった豪快さ。祖父は文七の首が似合いましたが、僕はいまのところ、検非違使くらいまで。襲名を機に、さらに鍛錬して、祖父のように大きく切れ味がいい人形が遣えるようになりたい」
 幼い頃から劇場が遊び場だった。人形遣い以外、将来の選択肢はなかった。父、玉幸は「大変な世界やから」と猛反対。ようやく父に入門したものの、その日から父と子は、師匠と弟子になった。「父は、親子やから甘やかしていると周囲から見られたくなかったのでしょう。人一倍厳しかったですね。手が飛んでくることもありました」
 家に帰っても師弟関係。夕ご飯の時も説教は延々と続いた。それでもやめたいと思ったことは一度もない。「なにしろ、人形を遣うことが好きだったんでしょうね」と屈託なく笑う。
 だが、武将や敵役が得意だった父は平成十九年に死去。厳しかった父だが、「一番大切なことを教えてくれた」と感謝する。それは、基本の大切さだ。「人形の軸がぶれてはいけない」「芸は、基本の積み重ねや」。徹底的に仕込まれた基礎が、五代目玉助の基盤になっている。
 二〇一〇年の上海万博のとき。人間国宝の吉田簑助、桐竹勘十郎らの座組で文楽の海外公演が行われることになった。演目は「義経千本桜・道行初音旅」。簑助の静御前、勘十郎の狐忠信。ところが急遽、勘十郎が行けなくなり、玉助が代役に指名された。
 「簑助師匠と同じ舞台で同じ空気を吸えたことがうれしかったですね。簑助師匠には、父が亡くなった時も『なにかあったらいつでも言ってきいや』と温かい言葉をかけていただいていましたし、今回の襲名でも随分お世話になりました。それだけに、師匠の相手役をさせていただいたことに感動しました」
 四月七日から、大阪・国立文楽劇場で始まる襲名披露の公演では、時代物の名作「本朝廿四孝」より「勘助住家の段」の主人公、横蔵後に山本勘助を遣う。戦国時代、武田晴信(武田信玄)と長尾謙信(上杉謙信)の確執を題材に、敵味方に分かれた兄弟、横蔵と慈悲蔵が、雪の竹藪で、秘伝の軍法の一巻を争う場面で知られる段。新・玉助が、刀で自らの片目をえぐる横蔵の勇壮さをどう表現するか、興味は尽きない。
 「百二十パーセントの力を出し切って、豪快さと肝の大きさを全面に出せればと思っています」
 演じてみたい役どころは数多い。「義経千本桜」の新中納言知盛、「ひらかな盛衰記」の樋口次郎兼光、「仮名手本忠臣蔵」の平右衛門…。方向性は明確だ。
 「襲名させていただくからには、自分の芸風というものをきちんと作っていきたい。あの役は玉助でないと、と思っていただけるよう精進していきたい」
 文楽の未来を担う大器である。




インタビュー・文/亀岡 典子 撮影/墫 怜治



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