「執着している作品です。もっと練り直して、できるだけ多くの方にみて頂きたい」と話すのは、10月22日、大阪・上町の大槻能楽堂で上演する新作狂言「楢山節考(ならやまぶしこう)」のことだ。
1957年、26歳の時の初演から満を持して3年前に再演した。
能楽界の規律が厳格だった時代。伝統を重んじ、狂言の向上を目指して古典作品に取り組む一方で、演劇評論家で演出家だった武智鉄二の新作「夕鶴」や「彦市ばなし」など新しい試みにも出演していた。
「狂言の広さを示したい気持ちは強かったですね。丁度、能・狂言に興味を持つ大学の同期の人々がおりまして、狂言になかったテーマを狂言の演技を使って作ろうという話になりました」と振り返る。
当時、姥捨の民話をもとにした深沢七郎の同名短編小説が注目されていた。同級生で能楽研究家を志していた増田正造の提案で、シナリオ作家の岡本克巳が脚色、新劇の劇団民芸の演出家の岡倉士朗が演出、能楽研究家の横道萬里雄が演出補佐をして舞台化した。
貧しく食べるものもろくにない村では、高齢者を山へ捨てる慣わしがあった。嫌がる老人もいるが、おりんは自らすすんで楢山へ行くことを願う。生死を扱う作品だが、おりんを背負い山へ連れていく息子の辰平との親子関係に焦点を当て、雪に覆われるおりんを見守るかのようなカラスを登場させて、回想形式で描く。
初演時、「狂言のテーマではない」との声も聞かれたが、「笑いはないが大きな感動を残した」と、高評価を得た。しかし、積極的に能楽界の協力を得られたわけではなく、笛はフルートを使い、小鼓は亡き北村治の録音だった。
「もう一度、やりたいと思っていました。二十代でおりんを、ずうずうしくやったもんだと、自分のことも含めてですね。山に捨てられるというテーマをやるには、もういい歳だから良かろうかと思って、台本を再検討してやろうと思いつきました」と、演出も手掛けた。
狂言は庶民の感情や行動を笑いを中心に置き多角的に描く。室町時代の現代劇だが、時代を超えた普遍的な喜怒哀楽は「生きがいを感じた」「明日への活力を得ました」などと共感を得ている。
「笑いのほかに涙あるいはシリアスな描写というものも、明日の活力に繋がるものがあるはず」との思いがある。
おりんとカラスは、パントマイムで表現する。昨年、おりんがつける面を新しく創作した。「お囃子の力と演技と、おりんの衣装の白、カラスの黒」で表現する世界は、演者の力量が問われる。
「若いころは役の人物像を考えて演じていましたが、『私が○○です』と演じれば、そう見えてくるのが狂言なんだと、先輩方の舞台を拝見して感じました。自ずから出てくる個性、太郎冠者的精神でもいいんですが、外から役をつくっちゃ駄目なんだと思いました」と、芸を磨きつつ人間性も豊かにすることの必要性を語る。
「喋らないことで、おりんという人間の思いを喋る以上に汲み取って頂けると思います。よく笑って下さる大阪の方にあえて『楢山節考』を観て頂いてどういう風に思われるか、僕の終局的な意義なので、初めて自分で主催して大阪で会をやります」と、抱負を語る。来年、名古屋と大分での上演も決まっている。
今年の正月、大阪で「翁」の〈三番叟〉を勤めた。激しい動きにも型がピタッと決まる素晴らしさに感動した。4月には東京・銀座に開場した観世能楽堂の舞台披きでも舞った。
「自分で腰の力というか、衰えているなぁという感じはします。工夫はしますが、レパートリーも狭まってきて、やれる役を一生懸命、気を入れてやっています。手の内に入れた役として自分の世界を作っていきたいとかね。そんなことがやりがい、生きがいになっていくんでしょうか」と、人間国宝に認定されてなお満足していない。
「限りないですよねぇ」とやんわり話すが、終わりのない芸の厳しさが言葉の端々ににじみ出る。
「狂言の面白さは演技の中にある厳しさや型の美しさによって面白い部分が支えられているという意識を持って、これからの狂言の演者たちは基礎の訓練をした上で発展的に、伝統の現代を求めて欲しいと思います」と、思いは尽きない。
孫の裕基についても「幼いころは教えていましたが、やはり師匠は一人の方がいい。父親の教えにまずは染まって、その後に周囲を観てくれないとだめなわけですね」と目を細めながら、伝統の継承と発展を願っている。
インタビュー・文/前田 みつ恵 撮影/八木 洋一
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