たおやかな姿形。若い女形特有の清らかな空気感が漂う。ひとたび舞台に立つと、観客の目を引きつける華と可憐さが同居する。
いま、歌舞伎界は二十代、三十代の花形若手が時分の花を競い合う、うれしい時代。そのなかにあって上方の芸を継承する稀少な存在として輝きを放っている。
「やはり上方のお芝居が好きなんです。あの、こってりした感じはほかにないものですよね」
上方和事の粋といわれる『河庄』。
「普通に演じてしまったらおもしろくない。でも、そこに義太夫なまりのせりふの言い回しがあり、和事のはんなりと美しい所作があることで、『河庄』が深く、こってりと美しい舞台になるのではないでしょうか」
令和二年は、大阪・道頓堀の松竹座「壽初春大歌舞伎」からスタートする。「令和元年は京都の南座の顔見世で一年が終わり、令和二年は大阪の松竹座から始まる。 僕にとって、年末年始を関西の舞台で勤められるのはとても大切なことなんです」。 そこには上方の芸を継承していこうとする強い意志が見える。
「壽初春大歌舞伎」での役どころは、大森痴雪・作『九十九折(つづらおり)』のヒロインお秀と山猫芸者雛勇の二役。 他にも、平成二十四年に初演され、現代的センスあふれる笑いで、大入り満員となった新作歌舞伎『大當り伏見の富くじ』の再演、松本幸四郎扮する紙屑屋幸次郎の妹お絹などを演じる。
「どちらも上方のものですし、自分でお役を作っていける喜びと難しさがあります。 それにお相手をさせていただくのが、幸四郎のお兄さんと(片岡)愛之助のお兄さん。 お二人ともお芝居を作るという精神にあふれていらっしゃる。 いつもの初春大歌舞伎とは少し違う風が吹くんじゃないでしょうか」
近年、その活動は実に多彩。二〇一六年には、野田秀樹の傑作をシンガポールのオン・ケンセンが演出、多国籍キャストで上演された舞台『三代目、りちゃあど』に主演。
二〇一九年には、「こども歌舞伎スクール寺子屋」などで歌舞伎を学ぶ子供たちのために、自ら脚本を書き下ろした袴歌舞伎『四勇士 友と共にあめアメふれフレ』で、演出、振付、作調も勤めた。 また、新宿歌舞伎町や天王洲の倉庫で上演されたオフシアター歌舞伎『女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)』では中村獅童扮する不良青年、与兵衛に惨殺される人妻、お吉を鮮烈に演じ切った。
「古典歌舞伎の『女殺油地獄』には出演したこともあったので、この作品について自分ではすごく知っているつもりだったんです。でも耳についているはずのせりふ一つにも、いろんな言い回しがあるということ、役にはいろんなアプローチがあるということを改めて教えられました。お芝居を作ることはこんなにも大変なんだと。でも苦労があるからこそ、いい作品になるんですね」
ただいま二十九歳。どんなことでもどん欲に吸収する年頃なのだろう。
近年は、女形の最高峰、坂東玉三郎の教えを受ける機会が増えている。舞踊『鷺娘』をはじめ、泉鏡花の『滝の白糸』のヒロイン白糸、鶴屋南北の『お染の七役』、そして二〇一九年十二月の京都・顔見世ではお姫さま役の三つの大役のひとつ、『金閣寺』の雪姫…。いずれも玉三郎の畢生の当り役ばかりだ。
「玉三郎のおじさまは、そのお役にどういうバックグラウンドがあるのか、語らずとも見えてこなければいけないとおっしゃいます。それには台本の裏に隠されているものを発見しないといけない」
『鷺娘』を踊ったときのこと。「中日過ぎに、玉三郎のおじさまが、ご自身が身につけておられた衣裳を貸してくださったんです。普通は、縫いの衣裳なんですが、それだとどうしてもごわっと見える。玉三郎のおじさまの衣裳は染めで作られているので重さが全然違うし、線が細く見えるんです。こういうところにも工夫があるということを学ばせていただきました」
名古屋の御園座の顔見世に出演した折には、上方の女形の大先輩、片岡秀太郎に、楽屋で芸談をたくさん聞かせていただいたと喜ぶ。
「すごくおこがましいのですが、秀太郎のおじさまが知っていらっしゃることをすべて受け継がなきゃと思っているんです。 僕にとって、秀太郎のおじさま、(坂東)竹三郎のおじさま、祖父(坂田藤十郎)が上方の女形芸の先生。これからも積極的に教えを受けにいきたい。そして上方歌舞伎の芸をしっかり受け継いでいきたいですね」
いつか、祖父、藤十郎のように、ロンドンで『曽根崎心中』のお初を演じてみたい。「夢なんです」と、ちょっとはにかんだ。
インタビュー・文/亀岡 典子 撮影/後藤 鐵郎
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