京都の大蔵流狂言方、茂山千五郎家は個性豊かな狂言師揃い。 そのなかにあって、本家の次男、茂もまた、異才の人といえる。
「うちは全員、文系。 僕ひとり、理系なんです」
その理系の頭脳がコロナ禍で力を発揮した。 千五郎家は、昨年二月に政府のイベント自粛要請が出た、その週末の日曜日、いち早く、稽古場から狂言のネット配信を始めたのだ。
いまでこそ、演劇、音楽などさまざまなジャンルで当たり前のように行われているが、茂山家のスタートは圧倒的に早かった。 それは、ネット事情に詳しい茂がいたからである。
「自粛要請が出た途端、週末の仕事が全部キャンセルになり、みんないきなり暇になったんです。 うちは二〇一三年からユーチューブのチャンネルを持っていましたので、稽古場からなら定期的に配信できると思いました」
ユニークなのは、ただ狂言を演じて発信しているだけではない。 彼らの素の部分が見える楽しいトークやゲストを招いてのテーマを設定した番組など毎回工夫をこらした配信でファンを引き付ける。
「一番やりたかったのは、ユーチューブっぽい、ラフな感じですね」とのこと。
「新しいファンを開拓したいというより、せっかく狂言を好きになってくださった方々と繋がり続けたいと思ったのです。 舞台というのは不思議なもので、一回足が遠のくとそのまま離れてしまいます。 でも何かのきっかけでまた戻ってきてくださる。 今回のユーチューブ配信でいったん狂言から離れた方がたくさん戻ってきてくださるのを感じましたね」
四十六歳。 狂言師として脂の乗ってくる年代である。 細面のやさしい顔立ちは、女性を演じることが多いが、古典から新作まで幅広く、骨格のしっかりした演技と飄逸な味わいで、人間賛歌の狂言を体現する。
子供の頃は、兄の千五郎とともに、曽祖父、三世千作の教えを受けた。 夜6時半から7時までが稽古の時間。 生活の中に狂言は自然にあったが、狂言師になるとは思っていなかった。 次男だったこともあり、若い頃の叔父、七五三のように、漠然と、狂言師と他の仕事の二足のわらじをはくのかなと考えていた。
そんな折、七五三が狂言師に専念。 自身も大学受験をあきらめ、狂言師一本で行くと決意する。 先代千之丞の弟子の丸石やすし、四世千作の弟子の松本薫の存在も大きかった。
「お二人は外の世界からプロの狂言師になられた方。 僕たちには茂山という名字がありますが、お二人にはない。 だからこそ茂山という名字を持つ僕が中途半端に狂言をすることは失礼になると思ったのです」
十八歳の時、いとこの宗彦、逸平と「花形狂言少年隊」を結成、これがアイドル的な人気を呼んだ。 若い女性ファンが能楽堂に押し寄せ、若い世代に狂言ブームが巻き起こったのだ。
しかし、当人は「複雑でした」と振り返る。 「人気と実力が明らかに釣り合っていなかった」
改めて、古典の技術をしっかり身につけようと、兄の千五郎(当時、正邦)、またいとこの千之丞(当時、童司)も一緒に、同世代五人で「TOPPA!(心・技・体、教育的古典狂言推進準備研修錬磨の会)」を主宰。 発展的に「HANAGATA」となり、昨年からは「Cutting Edge KYOGEN」として、つねに自分たちをアップデートさせながら芸の修練と狂言の振興に努めている。
「僕たちの関係は、チームメートというか、一生一緒にやっていく仲間という感じですね。 若い時は確かにライバル心も少しあった。 でも向いている方向がそれぞれ違う。 ベクトルが違うので、それが結果的に広い面となって茂山家の力になっていくんじゃないでしょうか」
「二番手であり続ける」ことを自身に課し、自らの存在を保険という。 「当主の兄になにかあったとき、僕が代われなければいけない。 その準備をつねにしておき、兄をサポートしていきたいと思っています」
千五郎との兄弟ユニット「傅之会(かしずきのかい)」では、長男の蓮くんとも共演、「僕は息子の稽古には結構、厳しいかな」と言いつつ、「最近、父(五世千作)に似てきたのを自分で感じるんですよ。 片方の眉が上がるところとか」と、うれしそうな笑顔を見せた。
来年一月十五日、大阪・大槻能楽堂で開催される「新春天空狂言」では「太刀奪」に出演、主人から預かった刀を奪われてしまう太郎冠者を演じる。 蓮くんは「居杭」。 正月早々楽しい気分に浸れそうだ。
最強の「二番手」は、俯瞰した目で狂言を見つめ続ける。 そこに、この人の大いなる可能性を感じさせる。
インタビュー・文/亀岡 典子 撮影/後藤 鐵郎
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