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中村 鴈治郎

KENSYO vol.140
中村 鴈治郎
Ganjiro Nakamura




中村 鴈治郎 (なかむら がんじろう)

成駒家。1959年2月6日京都に生まれる。
人間国宝・四代目坂田藤十郎の長男。1967年11月中村智太郎で歌舞伎座「紅梅曽我」の一萬丸で初舞台。1995年1月に五代目中村翫雀を襲名。2015年1月大阪松竹座「廓文章」の藤屋伊左衛門、「封印切」の亀屋忠兵衛で四代目中村鴈治郎を襲名。'99年関西・歌舞伎を愛する会演技賞。2006年度日本芸術院賞、'11年松尾芸能賞優秀賞、'13年国立劇場優秀賞、'15年度京都府文化賞功労賞などを受賞。'19年度紫綬褒章。大ヒット映画『国宝』に歌舞伎指導および俳優として参加。



文化は街と一体となって栄えていくもの

 日本中に歌舞伎ブームを巻き起こしている映画「国宝」。陰の立役者こそ、中村鴈治郎さんだ。
 原作の同名小説の段階から作者の吉田修一さんに協力。映画化にあたっては「歌舞伎指導」として、劇中上演される歌舞伎全般の監修という重責を担ったほか、歌舞伎の大御所俳優の役どころで出演もした。
 「映画化で、実際の歌舞伎の場面を、吹き替えではなく、吉沢亮さんや横浜流星さんら歌舞伎俳優でない俳優さんが稽古して勤めると聞いたときは、そんなことできるわけがないと思った」と打ち明ける。
 「しかも二人とも女方で、吉沢さん扮する喜久雄は人間国宝にまで上りつめるという設定。そこをしっかりやれないと作品自体が成り立たない。特に女方は所作やせりふ術も独特で大変な修業と技術が必要。彼らは本当によくやったと思います」。
 鴈治郎さんは自身の役割について、「映画の中の歌舞伎に関することに不自然さが一つもあってはならない。そこは僕の責任」と、相当の覚悟で臨んだという。
 「そもそも、難解と思われている伝統芸能の歌舞伎を題材にした映画がこんなに大ヒットするとは思わなかった。『国宝』効果で、いま歌舞伎公演にお客さまがたくさん来てくださっている。映画をきっかけに歌舞伎を初めて見る方も多く、うれしいことです」と顔をほころばせた。
 「国宝」のテーマは、「芸か、血筋か」という伝統芸能の根幹を問うもの。主人公の喜久雄(吉沢亮)は任侠の家に生まれたが、父親が亡くなったことから上方歌舞伎の人気役者、花井半二郎(渡辺謙)に引き取られ、歌舞伎俳優としての道を歩み始める。親友でライバルとなったのが半二郎の息子、俊介(横浜流星)。血筋の生まれでない喜久雄と御曹司の俊介。映画は対照的な二人の若者が芸に命をかけ、数奇な運命をたどっていく姿を描いていく。
 鴈治郎さん自身は上方歌舞伎の名家の生まれ。曽祖父は戦前の大スター、初代中村鴈治郎。祖父の二代目鴈治郎も、父の四代目坂田藤十郎も人間国宝。代々名優を輩出してきた家柄である。
 そんな鴈治郎さんに聞いてみた。 「芸と血筋、どちらが大事でしょうか」と─。
 答えは明快。
 「それはどうしたって、芸ということになる」。
 「血筋が有利なのは環境であって、確かに最初の頃はいい役が与えられるところもあります。でも、いくら血筋の生まれでも努力しなければできるわけがない。それは自分が若い頃、ほとんど舞台に立っていなかった経験からよくわかります」。
 鴈治郎さんは学生時代、親の方針で学業優先。たいていの御曹司が習う三味線や義太夫節の稽古もしていなかった。本格的に歌舞伎の舞台に立つようになったきっかけは、慶応大学の学生時代、京都・南座の顔見世で、祖父の徳兵衛、父(当時、二代目中村扇雀)のお初で「曽根崎心中(そねざきしんじゅう)」が上演された際、祖父が急病で休演、急遽、徳兵衛の代役を演じたことだった。
 徳兵衛は初役。しかもそれまでほとんど舞台に立っていない。だが、鴈治郎さんは徳兵衛を立派に演じ切った。「ただ、あの時は、とにかくやった、というだけで、根本的に出来ていたわけではなかった。ですからその後、父は、僕を相手役に使ってくれなくなりました。父にしてみたら、僕ではやりにくいということ。芸がなければ親子でも使わない。父はそういう人でした」。
 自身、徳兵衛役について、「演じ始めた当初は我慢するばかりのしんどい役と思っていました。意識が変わったのは平成十三年、英国で上演した際、新聞の劇評を読んで目からうろこが落ちたんです」。
 そこには作品がひとつのドラマとして評論されていた。「その時から、友人に裏切られ、お初と心中するしかなかった徳兵衛の心情や行動をいままでとは違った視点で演じられるようになりました。そこからですね。父がまた、僕を徳兵衛役で使ってくれるようになったのは」。
 その「曽根崎心中」が三月の南座で新たな構成・演出により、「曽根崎心中物語」として上演された。鴈治郎さんが監修をつとめ、徳兵衛とお初を中村壱太郎さんと尾上右近さんが役替わりダブルキャストで演じた舞台は連日満席。映画「国宝」を見て初めて「曽根崎心中」を見た人たちも大勢押し寄せた。
 「この舞台には血筋でない役者さんもたくさん出演していました。こういう座組でやれるということが上方の役者としてうれしいし、いまや彼らがいないと成り立たない」。
 その一方、上方の役者として悲しいニュースも。五月いっぱいで上方歌舞伎の本拠地として親しまれてきた道頓堀の大阪松竹座が閉館することになったのだ。
 四月、五月に同劇場で行われる歌舞伎公演は上方の俳優がほぼ全員揃うなか、鴈治郎さんも二か月連続で出演。「ミナミに劇場がなくなるのは寂しい」と心情を吐露しつつ、「でもね、ふと考えるんですよ。父ならどう思ったかなって」。
 「父は新歌舞伎座やかつての梅田コマ劇場など、いろんな劇場で歌舞伎を演じていた。ある意味、劇場にこだわらなかった。自分が演じれば、それが歌舞伎だと思っていたんじゃないかな。もちろん大阪に歌舞伎を上演する劇場はほしいですよ。ただ、そういう考え方もあるんじゃないかと思うこともあります」。
 四月三日開幕の松竹座「御名残四月大歌舞伎」は父、藤十郎の七回忌追善を兼ねる。鴈治郎さんは家の芸の玩辞楼(がんじろう)十二曲の内「河庄(かわしょう)」の治兵衛と孫右衛門をダブルキャストで勤めるほか、藤十郎が襲名披露で勤めた「夕霧名残の正月」では扇屋三郎兵衛、「大當り伏見の富くじ」では傾城、鳰照太夫と、立役、女方、両方を勤める。
 また、五月の同劇場「御名残五月大歌舞伎」では「鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)」の海老名なあみだぶつ、「心中月夜星野屋(しんじゅうつきよのほしのや)」では母お熊など、こちらも立役、女方を演じ分ける。近年は二枚目から敵役、老け役、女方まで、古典、新作を問わず幅広く演じ、芸域の広さから目標にしていた祖父、二代目鴈治郎をしのぐほどとなった。
 「いやいや。でもまあ、祖父は(松竹)新喜劇をもとにした作品(『幸助餅(こうすけもち)』など)は演じていないよね」と朗らかに笑う。
 松竹座が閉館するいま、関西の歌舞伎のために何ができるかを思考する。「文化は街と一体となって栄えていくもの。大阪の街がもっとそうなるよう僕たちができることをやっていきたいですね」。


インタビュー・文/亀岡 典子   撮影/後藤 鐵郎



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