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歌舞伎・文楽インタビュー バックナンバー
KENSYO vol.141
竹澤 宗助
Sosuke Takezawa
竹澤 宗助
(たけざわ そうすけ)
1960年(昭和35年)生まれ。
1978年(昭和53年)国立劇場文楽第五期研修生となる。
1980年(昭和55年)4月 竹澤団六(後に、七代鶴澤寛治)に入門、 竹澤団治と名のる。 同年7月 朝日座にて初舞台。1995年(平成7年)4月 竹澤宗助と改名。
2008年(平成20年)2月 平成18年度因協会奨励賞、同年4月 第27回(平成19年)国立劇場文楽賞文楽優秀賞、2020年(令和2年)3月 第39回(令和元年度)国立劇場文楽賞文楽優秀賞。
つねに前回より深く、前回より掘り下げて勤めたい。
ときに華やかに、ときに重く強く。 裂ぱくの気合とともに迫力ある太棹三味線の音色が場内に響く。 宗助さんはぐっと口を引き結び、どんな瞬間も表情を変えず、一心に撥を振り下ろす。
令和に入った頃からだろうか、本公演で切語りの竹本錣太夫さんと組む機会が増え、宗助さんもクライマックスである切場を勤めることが多くなった。 「錣さんのおかげです」と感謝の言葉を口にする。
「切場は、ひと撥、ひと撥の意味が違います。 こんなに重いものなのかと思いました。 また、物語の山場ですから話自体も重い。 やはり大変ですね」。 そう言ってから、「それに僕、メンタル弱いですから」と笑ってみせた。
錣太夫さんと組むようになった一因に、「師匠だった(七代鶴澤)寛治師匠が晩年、錣さんと一緒にやっていらっしゃったので、その流れがあるのかもしれません。 寛治師匠から教わったことがお互いベースにあるので語り方や流れなど出どころは同じという感じはしています」。
だが、「相性が合う」ことが逆に、「恐い」面もあるのだという。
「語りと三味線が合い過ぎると、『なぁなぁ』になってしまう。 浄瑠璃として面白くない。 ですから稽古や本番で、わざとずらしにいったりすることもあります」。
それこそが義太夫節の妙味であり、難しさでもあるのだろう。
文楽三味線の第一人者の一人。出身は東京。
母方の祖母が群馬の出身で地芝居に親しんでいたことから、家族の会話に『寺子屋(てらこや)』のセリフなどが普通に出ていた。
「生で歌舞伎を見てみたい」と思っていたところ、高校二年生の夏、東京の国立劇場で『鳴神(なるかみ)』を見る機会があった。 歌舞伎公演に通ううち、次第に歌舞伎の音楽に興味を持つようになる。 だがそれは、三味線ではなく、小鼓のようなリズム系の楽器。 「将来、仕事でやっていける道はあるのかな」と漠然と思い始めた頃、国立劇場のパンフレットに「研修生募集」の記事を見つけ、劇場に聞きに行ったところ、相手をしてくれたスタッフが「文楽の養成担当」。 運命が変わった瞬間だった。
「文楽の三味線の道を勧められました。歌舞伎の竹本は知っていたのでイメージはわきました。太棹の太い低音で、リズム楽器のような側面もある。 おもしろそうだなと。 いま思うととんでもないのですが、『人間国宝も夢じゃない』なんて言われましてね」。
晴れて文楽研修生となったが、将来の不安は大きかった。 「この世界で本当にやっていけるのだろうか。 そもそも自分の中でも思い描いていた未来ではなかったですから」。
それでも宗助さんには素質とセンス、努力する才能もあった。 同期は皆やめていったが、ひとり三味線の道を歩み続けた。 宗助さんは五期生。 三期生に野澤錦糸さん、四期生に鶴澤燕三さんがいた。 いまや押しも押されもせぬ実力者ばかり。 国立の養成事業のなかで文楽がもっとも成功したといわれる所以でもある。
文楽の道に進んだものの、宗助さんにはどうしても忘れることができない夢があった。 若き日に憧れた鼓である。
あるとき、寛治師が、能と日本舞踊と文楽の合同公演『二人静』の作曲をすることになった。 能の大鼓(大皮)を勤めたのが大倉流大鼓方の山本孝さん。 「孝先生の大皮を聞いた時、気迫に打たれたんです。 音色が耳から離れなくて先生のお社中に入れていただきお稽古をしていただくようになりました」。
一門会で『海士』(舞囃子)の大鼓を打つまでに。 「孝先生が亡くなられる前、最後にお稽古していただいたのは僕なんですよ」。 ちょっとうれしそうに語った。
そのうち、大鼓と文楽三味線の共通点に気づく。
「大皮を打つには謡を頭の中で謡わないと打てない。 いい大皮だと謡がどんどん引っ張られていく。 文楽の三味線も同じで、私たちも浄瑠璃を語れないと三味線は弾けないし、浄瑠璃を引っ張っていくという役割もあります。 勉強になりました」。
文楽の三味線は登場人物の年齢、性別、身分、人となりや心情などをその音色で表現するだけでなく、季節感や情景まで音色に込める。
「面白いのは、弾く人が違うと、同じ曲でも全然違うものになることです。 性格が演奏に出ます。 攻める人は攻める。 そういう音色になるのです」。
今年で文楽の世界に入って四十六年。 忘れられない思いをした舞台もある。 『曽根崎心中・天満屋の段』だ。 入門前から、八代竹本綱太夫・十代竹澤弥七の音源を聞いて、「すごくいい曲だと思っていました。 ところがいざ演奏してみると、印象が全然違った。 盛り上げられないんです。 自分の技術の問題なのですが、難しいものだと思い知りました」。
一方で楽しいのは『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)・道行旅路の嫁入』や『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)・道行初音旅』など道行の曲。
「もちろん太夫さんと一緒に作っていくのですが、道行だけは三味線の芯の演奏者が全体を引っ張っていくように思います。 能の大鼓の音の切れや、一曲のもっていき方に通じるところもありますし」。
今年も切場が目白押し。 七月十八日初日の国立文楽劇場「夏休み文楽特別公演」では時代物の大曲『源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)・九郎助住家の段』の切場の後半を、 十月三十一日から同劇場で始まる「錦秋文楽公演」では同じく切場の『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)・十種香の段』を勤める。
「いまは与えられたものを、三味線のひと撥、ひと撥にどんな意味が込められているかを考えながら、つねに前回より深く、前回より掘り下げて勤めたい。 それだけですね」。
もう一つの使命は弟子や後進の育成。 寛治師が亡くなった後、孫の鶴澤寛太郎さんを預かったことは大きかった。
「私が若いとき、師がゼロから丁寧に教えてくださったことを思い出します。 師匠はご自分の稽古もあって、さぞ面倒だったと思うのですが、私の稽古に時間をかけてくださった。 少なくとも寛太郎には恩をお返しする意味でもしっかり稽古していきたいと思っています」。
文楽は情を描く芸能だ。 宗助さんの快活で、さらりと語る言葉の内には、温かな情と浄瑠璃へのパッションがいっぱいに詰まっている。
インタビュー・文/亀岡 典子 撮影/墫 怜治
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