運命の出会いというのがある。
吉田簑二郎さんにとって、師の三代吉田簑助さんの舞台を見たことが人生を変えたといえる。
「初めて文楽の舞台を見たとき、師匠のところだけピンスポットが当たっているように感じたのを覚えています」。
二十歳のときだった。場所は東京の国立劇場小劇場。演目は「嬢景清八島日記(むすめかげきよやしまにっき)(日向嶋( ひゅうがじま)の段)」。簑助さんはヒロインの糸滝を遣っていた。その舞台が、簑二郎さんが文楽の世界に飛び込む、ひとつのきっかけとなった。
今年は師、簑助さんの三回忌。追善公演が十月三十一日から十一月二十三日まで大阪・国立文楽劇場、十二月には東京芸術劇場プレイハウスで行われる。これほど大規模な追善公演はほとんど例がなく、簑助さんが「文楽の顔」としてどれほど大きな功績があったか、どれほどファンに愛されていたかがわかる。
「本当にありがたいことです。これを機に、また、師匠のことを思い出していただきたいですね」。簑二郎さんはしみじみ言葉を紡いだ。
いま、女方から立役、老け役、敵役まで幅広い芸域で文楽の舞台になくてはならないベテランとして活躍。師匠が得意とした「本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)」の八重垣姫や「摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)」の玉手御前なども継承している。
「みなさん、師匠のことを、女方の人形遣いという印象があったと思いますが、ご自身は『人形遣いはどんな人形でも遣わんといかん』がモットーでした。そして、『役にいいも悪いもない』とも。自分もその気持ちで勤めています」。
兵庫県赤穂市出身。父親が元教師で、親戚にも教師が多かったことから、自分も自然にそうなるのかなと思っていた。だが、大学受験に失敗し予備校に行くため上京したところで文楽に出合う。子供の頃、テレビで放映されていた人形劇「ひょっこりひょうたん島」や「チロリン村とくるみの木」が大好きだった。「心のどこかにそういう思いが残っていたのかもしれません」。東京で受験勉強のかたわら、文楽や歌舞伎、落語を見に行った。そのとき見たのが文楽の「日向嶋の段」だった。翌年、文楽を見に行くと、簑助さんは「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」の三枚目の役どころの丁稚長吉を面白く遣っていた。「あれっ、あのときの糸滝と全然違う。驚きました」。
その日、劇場に貼ってあった「文楽研修生募集」のポスターを見て、「おもしろそう」と応募。文楽研修三期生となった。
講師は現役の技芸員。ところが、憧れの簑助さんは一期生、二期生の時代には講師を務めていなかった。
「あとでうかがった話ですが、師匠は後継者を育成する必要性は十分感じていたものの、学校のように教えることに賛成していなかったそうなんです」。それが、一期生、二期生の頑張りを見て、簑二郎さんが入った三期生から講師陣に加わった。これも運命なのかもしれない。
「夢のようでした。あのとき見た簑助師匠が目の前にいる。その方に直接教えていただけることがうれしかったですね」。当時を思い出して懐かしそうな目をした。「ですので、一回もやめようと思ったことはなかったです」。
とはいうものの、戸惑いもあった。研修生になって二か月というとき、急遽、巡業に参加することになり、「絵本太功記(えほんたいこうき)」の老母さつきの足遣いなどを勤めることになった。
「ところができないんですよ。立て膝をつく動作でも、おじぎをする演技でも、足遣いがどういう動きをすればいいのか、まだ習っていませんでした。主遣いの方に本番中、『上げろ』と小声で言われても何を上げていいのかわからなかった」。
ただ、本番を通じて、師匠方・先輩たちがいろいろ教えてくれた。「それがありがたかったですね。実地に教えてくださったことが一番身につくように感じました」。
研修生時代、簑助さんに手取り足取り丁寧な指導を受け、そのままに入門。足遣いの修業が始まった。
「楽しかったです。あの簑助師匠の足を遣わせていただいているという喜びや誇りもありましたし、師匠が遣われる人形の後ろ姿を見ることができるのは自分だけの特権。肩のかたむけ方、独特の繊細な首の角度、それを自分が一番近い距離で独占しているような感覚は何ものにも代え難いものでした」。
師から学んだことは一言ではとても語り切れないという。
「師匠は胴串(どぐし)を持つ手がふわっとしていらっしゃって、僕なんかガチガチに持っているから手がしびれてくるんです。頭でわかっていても出来ない。また、ご自分が遣う役と同化しているのに、人形を遣う技術者の意識もある、両方を両立させていらっしゃったんです」。
平成十年、簑助さんが公演中、脳出血で倒れたときには、「何が何でも舞台に復帰するという執念というか、すごいものを感じました」。
人形を遣う技術だけではない。その精神も魂も、師から学んだすべてが、いまの簑二郎さんの芸の根幹にある。だからこそ、十月三十一日から始まる追善公演にも力が入る。
大阪公演での役どころは「心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)」の姉おかる。嫁ぎ先から離縁され実家に戻されてきた妹お千代を気遣うという役どころ。実は平成二十九年の公演の際、前半を簑助さんが遣い、後半を自身が遣ったことがあった。また、足遣いの頃、初代吉田玉男の半兵衛、簑助のお千代、二代目桐竹勘十郎の平右衛門、吉田文雀のおかるという最高の配役でお千代の足遣いを勤めたこともあり、「いろいろと思いの深いお役です」という。
十二月六日初日の東京公演では「加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」で敵役の岩藤を本公演で初めて遣う。「この作品は師匠のお初がとても印象深いです。私のお役はいかに憎らしく存在感を出すか。とても楽しみです」。
今後も与えられた役を百パーセント頑張るだけ、と表情を引き締める。「文楽人形の三人遣いってすごい発明だと思うんです。その面白さを後輩にもっと感じてもらいたい。私たちの仕事はお客さまに喜んでいただくためにあるのですから」。
最後に、いま師匠に思うことは、と尋ねてみた。
「師匠は来世も人形遣いに生まれたい、とおっしゃいました。それなら私も、生まれ変わってももう一度、師匠の足遣いをさせていただきたいです」。
インタビュー・文/亀岡 典子
撮影/武内 基展
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