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KENSYO vol.33
宝生流ワキ方
宝生 閑
KAN HOSYO
ワキ方の本質、それは
「耐えて許して
 なぐさめる世界」
宝生 閑(ほうしょう かん)
ワキ方下掛宝生流。'34年東京に生まれる。宝生弥一の長男。 父宝生弥一、祖父宝生新に師事。'41年「葵上」の大臣で初舞台。社団法人能楽協会、日本能楽会常務理事。国立劇場能楽堂三役養成主任講師。第12回観世寿夫記念法政大学能楽賞受賞。第48回日本芸術院賞受賞。無形文化財保持者(人間国宝)。紫綬褒章受章。立正大学仏教学部客員教授。

 『景清』。平家の侍、景清は頼朝を討とうとして捕われ日向に流され源氏の世を見るに忍びず我が目をえぐり盲目となり里人の情で藁屋に生きながらえる。ある日、熱田から娘が訪ねてくるが我が身を恥じ名乗らない。しかし里人のみちびきで父娘の対面をし武勇伝を語り娘と永遠の別れをする。戦さに滅びるシテ、景清の心を父娘の情愛へとうながし、すべてを見とどけ透明な風のように去る里人はワキ方下掛宝生流宝生閑さん。閑は静の意味を持つ。名の通り静かに舞台にあり、歌うでもなく単なる語りでもなく明瞭で清々とした言葉のリズムで物語を展開する閑さんは、ワキ方の第一人者として知られている。
 昭和九年、東京上野桜木町にて宝生弥一さんの長男に生まれる。おばの嫁ぎ先、日蓮宗本山身延山法主に経文のなかから選んで閑と命名された。祖父、ワキ方宝生新さんの家で育つ。近くに徳川家菩堤寺の寛永寺があり寛永寺幼稚園、根岸小学校へと進む。ごくふつうのわんぱくだった。小学校三年生の時から青山の父のもとで暮らすこととなり青山小学校へ転校。ワキ方は形より先に、言葉の意味がある程度理解できる年齢から謡を習う。閑さんは五歳から正座して謡を憶えた。
「祖父は、舞台は素敵だ、ということを教えてくれました」
祖父は夏目漱石や野上弥生子などにも謡を教え文人との付き合いも深かった。
 閑さんは七歳で『葵上』の大臣で初舞台。つねに喜びをもって一っ時一っ時の舞台をだいじにする心構えを父、祖父に学び身につけた。ワキ方の家を継ぐことに何の疑問もなかった。十二歳で終戦を迎える。長時間、正座して耐える忍耐力は鍛えられていたが戦中戦後の食料難は食べ盛りに苛酷であった。高校時代は能以外のことにも目が向き児童劇に裏方で参加した。背景の草や木になったりしてやはりワキ方であった。また能舞台をつとめつつジャズバンドを組みアメリカ駐留軍へ慰問演奏に。結構なアルバイト料になったという。ビブラフォンやベースを弾いた。速さのなかの静けさ。閑さんはそこでも能の言葉のリズムとのつながりを感じる。メロディックでリズム感に満ちたワキ方の言葉。人間の心のゆれや内的なひろがりは洋の東西を問わず共通であると実感する。日大芸術学部の頃、観世寿夫さんの世阿弥『風姿花伝』を読む会に参加し、祖父の芸を思い出し、父からの学びを反芻しワキ方に徹していく。
 古くは能では同一の役者がシテもワキも演じていたが、のちにワキ方が専門化した。能のワキ方は映画や芝居などの脇役とはまったく別の芸術的役割を持つ。ワキは(一部例外を除き)最初に出てきて名乗り次第を語り場面設定をつくる。例えば『井筒』。旅僧が初瀬へ行く途中、昔、在原業平と女が住んでいた在原寺へ参拝する。するとシテの女の霊が現われる。観客はワキの僧がかもしだす雰囲気にいつしか中世にタイムスリップ、女の霊の恋の追慕の舞に、その場面のさらに過去の時代にもたゆたうことができる。ワキは必ず現実の人間という役柄であるが、神、草木や花、化身や霊と話しができ、観客を夢幻の世界へ連れていく。そして物語を美しく語り表現することでその時々の舞台の位(格調や重み)へ観客ともどもいざなう。位をつくるのは、初心忘れぬ長年の稽古の積み重ね。ワキ方の本質はひとことでいうと、
「耐えて許してなぐさめる世界です」
 扇のかなめにも似ている。主役のシテを成り立たせつつ、かなめのところで辛さに耐え自己主張を押さえ争わずまとめていく。争いは見苦しい。少年時代に戦争をくぐった閑さんの哲学。能には源平争乱時代の、景清のように戦さに敗れ親とも名乗れない平家を主人公にした物語が多い。能には、勝っても負けても無残な戦争反対の精神が込められていると閑さんは考える。天皇の争いが人々もろとも修羅道へ落とせしめた時代からようやく治まりまとまる時代へ。中世のるつぼの中に、花鳥風月を愛でた遠い平安貴族の感性を限りなく庶民に近付け、こまやかな美を表現するものとして、中国から伝わる散楽や民族芸能をもとに大成された能。ギリシャ劇と並び世界一古く誇らしい演劇である。それゆえ、中世を物語りながら現代にあらまほしい人間を語り得る。耐えて許して温情へ至る人間性。
 新調の鐘を見たいと道成寺にやって来た『道成寺』の白拍子。白拍子は舞を披露し、人々が寝入る隙に鐘を落して中へ消え、ふたたび上がる鐘から、去った男を怨む蛇体の鬼女となり現われる。ワキの僧と従僧の祈りの場面となる。
「身勝手な恋の執念です。しかし、蛇体となった鬼女を祈り伏せ退治するだけはでなく、女の怨念を和らげ、僧の世界へみちびき、成仏させる、という感じです」
このワキ方の信条は、閑さんの生き方そのものと同化しているように貴くうかがった。


インタビュー・文/ひらの りょうこ  撮影/八木 洋一

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