KENSYO>能狂言インタビュー バックナンバー
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KENSYO
vol.34
石井流大鼓方河村 大
MASARU KAWAMURA
精悍な面立ちは
大鼓の音色そのままに |
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河村 大(かわむら
まさる)
'60年名古屋市に生まれる。父河村総一郎に師事。 '79年京都能楽養成会に入り、谷口正喜師に師事。その後、能楽協会京都支部に移籍、京都囃子方同明会に入会し、京都を本拠として活動。海外公演や他分野との交流も多く、'96年には京都市芸術新人賞を受賞。囃子方による公演会を開くなど、いま、もっとも活動が期待されている若手能楽師。 |
チョーン!とも響きカーンとも鳴る大鼓。空気がぴーんと張りつめる。舞台の物語のなかへ引き込まれながら、音程はないのにさまざまな音の彩りで胸中に打ち込んでくる大鼓に、見所(観客席)のこちら側からも、無言の響きを返しているような錯覚におちいる。
囃子方石井流大鼓の河村大さん。端正な面立ちと、老成を底に秘めた若々しく瑞々しい響きに魅了される人は多い。舞台が終わり空になってからも、その音色は耳に残り、物語の余韻を長く引く。能の舞台の囃子方の重要な役割をあらためて思わせる。
河村大さんは昭和三五年、名古屋に生まれる。ものごころついた頃から、祖父から能を習い、四歳の時『鞍馬天狗』の花見の稚児で初舞台を踏む。以降、小学校を卒業する頃まで、五十番を超える舞台を勤めた。父河村総一郎さんは石井流大鼓の囃子方で、大鼓は小さい頃から大さんが日常に聞く音であった。石井流は安土桃山時代の発祥といわれる。大さんが父について本格的に大鼓の稽古を始めたのは小学五年生の頃。父の主宰する社中の会にも出演。祖父の孫への甘やかな稽古ではなく父のそれは子ども心にもきびしかった。父の芸へのきびしさが大さんを大鼓ひとつで生きる決心を導いた。大学時代、京都能楽養成会へ。石井流、谷口正喜師に師事した。名古屋のみならず京都での出演も増え、大学卒業後、京都へ居を定めた。養成会で七年、みっちり修行し若手として活躍。若さの美しさは、ひたすら、一所懸命の姿勢である。弟の眞之介さんも名古屋で大鼓で活躍している。
大鼓は、馬の背中の革、胴は桜材。そこへ大根、蕪の絵柄の蒔絵などがほどこされる。根(音)っ子で音がよく張るように、またほら貝や雷の絵はよく鳴るようにの掛け言葉。緊張に充ち充ちた道具(楽器)にも、こんな洒落っ気があって楽しい。
毎回本番二時間前には楽屋入りして、革を炭火でじっくり炙る。胴を挟み、麻糸を朱に染めた調緒で締めあげ飾り紐をかける。張りを確かめ音を確かめ。もう「舞台」は始まっている。革の乾燥は道具の極意。梅雨から夏へは革が湿気を含まぬよう舞台でそちらにも神経が張る。長い演目だと途中で道具を替えることもある。昔は馬の革も今より薄く(農耕馬だったらしい)素手で打っていた。今は指革を中指、薬指にはめて打つ。指革つくりも大切な仕事。木を削り指の木型を作る。それに合わせて和紙を二、三枚ずつ寒梅粉(餅米粉)の練糊でカチカチに乾燥させながら十枚程貼り固めていく。一年に二回、三日程かけて、工夫を重ね指革を作り置く。根気と我慢の仕事だ。
大鼓は常に締めっぱなしなので、強弱は右手に気持ちを移して打つ。囃子方は、まず謡を覚え資料をあたり、内容を深く把握しなお且つ謡えなければならない。大鼓の手組(掛声と打込みの組合せ)は二〇〇種ある。息を吸い、気を込めて全心身を収斂して声を立ち上げ、ヤァーッ、ヨーッ、ハァー、チョーンと音が響く。息を込めてから発する掛声の技は、「込み」といい、自身の修練で積み上げ、磨いていく。
こんな緊張の連続の日々。少しは仕事から離れ、ゆったりと異分野の音楽にでもひたろうかと、ジャズなど聴く。アルバート・アイラーのむせぶような、叫ぶようなテナーサックスの魂に酔い痴れる。心をゆさぶる音に一瞬舞台での自身を重ね合わせる。疲れを癒すはずの「趣味」も究極は舞台の延長になってしまう。そういえば、囃子もジャズに似て、大鼓、小鼓、笛、太鼓のセッション。一見、わがままに、それぞれ自らの楽器で表現しながら、すべての音がないまじり、その日、その時の世界をつくりだしていく。
大さんが、京都に移り住み十数年がたった。当初は、京ことばや風習、それに、細々とした通りや家並みなど、名古屋とはまったく違う風土に違和感やストレスを覚えたという。結婚して、妻と長女の雛子ちゃん(5歳)と長男の凛太郎くん(2歳)、そして二匹の猫と、西陣の柏野に住まう。路地から路地へ響く機音。人声。商店街のにぎわい。暮らしににじむ音も大さんの関心事。この街で染め織る舞台の装束へも思いを馳せる。さまざまな色合いの音を取り込み、鋭く気高い響きを舞台へと培っていくのだろう。雛子ちゃんはお父様の出稽古にもついて行き一緒に掛声、謡を謡いだす。その熱意に応え道具を持たせると嬉々として。凛太郎くんも、いきなり扇を持ち「齢をー」と『老松』を舞いだし驚かせた。大さんは、祖父のやさしさ、父のきびしい中にあった子どもへの愛や信頼を思い起こす。
先日、JR京都駅の広場での薪能に出演。立ちどまり見て行く若者たちがいて、良い空間だった。大さんの視野は世代を超えてひろがり響きはそこへも届いていくことだろう。
インタビュー・文/ひらの りょうこ 撮影/八木 洋一
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