KENSYO>能狂言インタビュー バックナンバー
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KENSYO vol.78
観世流 シテ方 河村 晴道
HARUMICHI KAWAMURA
終わることは始まること。
THE ENDのない生き方。
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河村 晴道(かわむら はるみち)
観世流シテ方。1960年生まれ。父・河村晴夫に師事。4歳で仕舞「老松」にて初舞台。9歳で能「猩々」にて初シテを勤める。同志社大学文学部文化学科文化史学専攻卒業後、十三世林喜右衛門に内弟子入門。1987年独立。これまでに「石橋」「猩々乱」「道成寺」「養老
水波之伝」「清経 恋之音取」「砧」などを披く。二星の会(河村晴道能の会)及び、京都・府中(東京)・熱海・徳島・広島で青嵐会を主宰。京都観世会理事。日本能楽会会員。同志社女子大学嘱託講師を勤める。
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広いガラス窓の向こうは薄ぐもり。長かった灼熱の夏が過ぎていく気配。セクターエイティエイトの応接間。大川の波の光を背に、観世流シテ方、河村晴道さんのお話は、静かな語り口に情熱がこもり、簡潔にして豊かな内容、明るい中にも人が生きることのきびしさがひそんでいて、深いものであった。それは、能が単なる古典芸能ではなく現代を生きる人々と心をつなぐ芸能であることを示すものであった。シテ方の家に生まれ、育ち、その道をまっすぐに来た晴道さんの哲学でもあった。
河村晴道さんは、1960年(昭和35年)、観世流シテ方河村晴夫さんの次男として京都に生まれる。幼いころから父君に師事する。
「河村さんとこは、男のお子に恵まれて、お家も栄え、結構なことどすわ」
京の能ファンの人たちは噂した。父君の三兄弟、その子たち、即ち晴道さんの兄君の晴久さんや従兄弟さん六人の総勢が熱心に舞台を勤めることで知られてきた。
河村家では、昭和31年、ようやく戦後は終わったと言われた時期に早々と能舞台が建てられた。師家の林喜右衛門家の公演はもとより、独自の研究会をつづけ、人々に能楽を広める努力を惜しまなかった。晴道さんは明るい少年。
「稽古をすることがあたりまえでした」
四歳で仕舞「老松(おいまつ)」にて初舞台。九歳で「猩々(しょうじょう)」で初シテを勤める。小学四年生で太鼓、中学生の時、小鼓を習う。「その頃、お声がかかりましてね」。囃子方としてやっていかないか、と勧められた。父君から自分の道を選ぶようにいわれ、シテ方の道を進みたい、とはっきりいった。
「もう何度も舞台で主役として舞うてきて」
その歓びに魅せられている自分があった。
高校時代、晴道さんはいっそう熱心に稽古に励んだ。通学の自転車のカゴにはいつも謡本。赤信号で停まると手に取り諳(そらん)じて謡う努力を重ねた。大鼓の稽古もし、大学時代は笛を習った。こうして能に総合的に取り組んでいった。
晴道さんは、大学を卒業してすぐ、林家へ内弟子として住み込みで入った。師の身の廻りのお世話、掃除などの家事。舞台、代稽古。しまい湯をいただいて、風呂掃除。それから「お休み」のお声がかかるまで、緊張がとけず、四時間程の睡眠で、毎日、睡魔とのたたかい。手のひらにタイマーを握りしめ、五分の眠りをむさぼり、凌ぐ。シテ方としての情熱はいささかもゆるがなかった。五年が過ぎ内弟子を卒業。独立。
日々の生活が自己決定できる世界。
「喫茶店に入った時、有り難いなぁ、感謝の気持ちで一杯になりましてね」
晴道さんは、どんな小さな事にも感謝する自分を発見した。モノがない、と嘆くより、そこに、それがあることを喜ぶ、その生き方は、晴道さんの能の精神に直結していった。
生きとし生けるいのちへの慈しみ。
自らのいのちに感謝し、その思いを他のいのちへも回し向ける。今を生きるとはどういうことなのか。舞台と見所が一緒になって確かめ合う。能はその事に最もふさわしい芸能なのかもしれない。
「世阿弥は神に仕える翁猿楽などの芸能に娯楽性を入れ、人々が楽しむものを追求していきました。神から人へですね」
それはまた、人間の実相を余すところなく炙り出すことでもあった。世阿弥の修羅能には、主として源平合戦に関わり、修羅道に堕ちて成仏できぬ者が、この世に亡霊となって現れる。
「人の世で戦さに関わった者は、決して成仏できない。清経も、敦盛でさえも」
十六歳の若さで討たれた敦盛もまた、人が人を殺戮する、人間の愚かの極みの場にあった。そこに存在することの苦しみ。逃れられない哀しみ。人はそうしたものだ、とする世阿弥の諦念(ていねん)。
それだからこそ、晴道さんは、
「いつの世も、戦争を厭(いと)い、平和を祈る、それが能だと思っています」
晴道さんは金春禅竹の能がお好きである。
「『楊貴妃』『杜若』『野宮』・・・
禅竹の能は、世阿弥と違って、こちらから向こうへ行くんですよね」。あの世へ、夢の世界へ。和歌を折り重ね、それを束ねるがごとく禅竹の感性で収斂(しゅうれん)されていき、シテはその美しさにすべてをゆだね、たゆたう。かなわぬゆえのまことの恋。その恨みもさみしさも肯定しつつ、運命の中を行きつ戻りつ返し返して、終わることはない。終わることは始ること。それは生きることの普遍性でもあろう。
「禅竹の能には the end がないのです」
まさしく晴道さんの生き方と重なる。
そんな晴道さんが、来年の「大津 新春さざなみ能」で、終わりなき世の年の初めのめでたさを寿ぎ、いのちへの讃美をこめて『石橋(しゃっきょう) 大獅子』の白獅子を舞う。本来、赤獅子がひとり舞うところ、この度は特別の演出で、観世流シテ方味方玄さんの赤獅子と共に、力強く華麗な舞台となる。
琵琶湖のさざなみのように人々をやわらげるであろうこの舞台を、心待ちにしている。
インタビュー・文/ひらの りょうこ 撮影/八木 洋一
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