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片岡 仁左衛門

KENSYO vol.27
片岡 仁左衛門
Nizaemon Kataoka

〜仁左衛門襲名を語る〜

片岡 仁左衛門(かたおか にざえもん)

1944年3月14日、大阪府にて13代目片岡仁左衛門の三男として生まれる。長兄に5代目片岡我當、次兄に2代目片岡秀太郎。1949年「夏祭浪花鑑」の市松役で初舞台。1964年「女殺油地獄」の与兵衛役で丸本世話狂言の初主演。1972年「吉田屋」の伊左衛門を勤め、以後上方和事の伝承にも努める。1984年「ハムレット」に主演、大好評を得、その後再演を重ねる。1985年歌舞伎アメリカ公演に参加。1998年1月、15代目片岡仁左衛門襲名。

歌舞伎界の大名跡である片岡仁左衛門を襲名した。お披露目は「二十世紀最大にして最後」といわれる華やかさ。一、二月は東京・歌舞伎座、四、五月大阪・松竹座、十月名古屋・御園座、十二月京都・南座で行われる。襲名披露公演が東京と大阪で二か月間ずつ上演されるのは史上はじめて。十五代目仁左衛門さんに抱負などを聞いた。

披露狂言は、それぞれ公演によって異なるが、昔から代々、東京、大阪、京都の三都にまたがり活躍していることから「江戸歌舞伎、上方歌舞伎、どちらの役もこなせる役者になりたいし、お客さまも望んで下さる」と、両方の代表作を集めた。
歌舞伎役者、特に片岡家は浄瑠璃から写した丸本物を基礎としている。その義太夫狂言は「寺子屋」と「熊谷陣屋」。恋をした優男の心情を写実的に描く上方の和事は「吉田屋」と「封印切」。それに、亡き父が好きだったという「伊勢音頭恋寝刃」。江戸情緒が盛り込まれた江戸狂言の「助六曲輪初花桜」。
「先輩たちやお友達が回りを固めて下さる。ぜいたくな配役で、大顔合わせという雰囲気も楽しんでいただける」と、ベテランから若手までスターが勢ぞろいする。応援に感謝し「父の人徳のおかげ」とも思っている。

十三代目仁左衛門の三男として一九四四年、大阪に生まれた。長兄は片岡我當、次兄は女形の片岡秀太郎。五歳の時、道頓堀の中座で初舞台を踏み、以来、本名の「孝夫」で活躍。六四年に初主演した「女殺油地獄」や翌年の「義賢最期」が出世作になった。
しかし、当時の関西歌舞伎界は、戦後のあおりを受け公演数も減少。六七年に「芝居やりたさ」から上京した。端役が続いた。自主公演では会社回りをしてチケットを売り歩いたこともある。
「大阪でひと月公演って年に一回か二回、ほとんどが十日とか一週間の勉強会。それが東京だと、ひと月あるわけです。働けるありがたさ、うれしかった」という。
そして巡り合ったのが、女形の坂東玉三郎さん。七一年に新橋演舞場で始まった「花形歌舞伎」で「播州皿屋敷」や鶴屋南北の「桜姫東文章」などで共演した。さっそうとして幻想的な舞台に、若いファンがついた。
「アングラ(アンダーグラウンド)劇団のお芝居を見ていたお客さんたちが初めてみて、歌舞伎に新鮮さや斬新さを感じてくれましてね」
孝夫・玉三郎で南北を見よう、という会「T&T応援団」が出来た。もっと二人の公演をするように松竹本社へ談判に行ったり、チラシを配ったり…。孝・玉コンビと言われるはじまりだった。
その後、映画やテレビ、舞台もシェークスピア劇「ハムレット」に主演するなど活動の場を広げていった。
「三男の気軽さで、好き勝手なことをしてきました」というが、”客を呼べる“数少ない人気俳優の一人。三都を拠点にしてきた仁左衛門の名に相応しい。

襲名の話が持ち上がったのは十三代目が健在だった九一年。継ぐとは思っていなかっただけに「複雑な心境」だった。
「兄からも勧められましたが、随分、悩みました。でも、家の者も親戚も会社(松竹)も承知していて。まあ回りの流れに押されたという感じでね。引き受けました」
それでも「正直、どなたもみんなが当然と思われている襲名じゃないですから。ちょっとつらいものがあった」と明かす。そんな時、病気で倒れ、八か月間入院した。
「最悪の事態を考えなくてはいけないという時に、まあ、死ぬ時は死ぬ、生きる時は生きる。所詮は神様の掌の中で泳いでいる」と、自然の流れというか、人間ではどうにもならない“力”を感じたという。「逆らうより流れをコントロールして、いい方向へ行くように務めよう」と前向きになった。
親戚筋の故片岡我童に十四代目を追贈し、十五代目を襲名すると九五年に発表した。

「十五代に至る名門で大きな名前といわれた、その格を落とさないようにしたい」
最近の舞台をみていて、十三代目の風格と似てきたなと思う時がある。そのことをいうと「なんか似てしまうんですよね。もう一人の自分がいたら、そんなに真似するなっていいたくなるようなね」と、照れくささと戒めが入り交じったような表情になった。
歌舞伎の世界で「お父さんそっくり」というのは褒め言葉でもある。そこに芸の継承を見い出すファンも多い。
「受け継いでいくだけで、昔そのままの芸の型が残っているわけじゃないですしね。役者、個人個人の積み重ね。名前って本来、人間について来るもんですから、継いでも私自身がぽしゃれば駄目になりますからね」
「何十年、何百年先の次の人たちが十五代目はすてきな名前と思ってくれるような役者になりたい」と、踏襲しつつも自分なりの特色を出していこうとする意気込みを持つ。
終始、にこやかだったが、何をしている時が一番、楽しいかの質問に「芝居です」と即答した時の笑顔は、夢と希望に向かう青年のようだった。



インタビュー・文/前田 みつ恵 撮影/八木 洋一



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