KENSYO>歌舞伎・文楽インタビュー バックナンバー
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KENSYO vol.28
三味線 野沢 錦糸
Kinshi Nozawa
「浄瑠璃は奥が深い。ツンと弾くが、そのツンにはどういう意味があるか。次どういう風に語れるか、難しいけれど、これが面白い。」
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野沢 錦糸(のざわ きんし)
1957年6月11日、東京に生まれる。1976年5月、国立劇場・文楽協会文楽養成第3期研修生となる。1978年4月、4世野沢錦糸に入門、錦彌と名乗り、同年5月、国立劇場『生写朝顔話』「大序大内館」で、初舞台。1985年大阪文化祭賞奨励賞、文楽協会賞受賞。1989年11月、現鶴沢燕三の門下となる。1991年府民劇場賞奨励賞、松尾芸能賞奨励賞受賞。1994年咲くやこの花賞受賞。1998年4月、5世野沢錦糸襲名。
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デン、デン、と、おなかに響く太棹三味線の音。大阪弁で情感たっぷりに語られる義太夫。舞台正面では三人遣いの人形が動き始める。三位一体で人の情を伝える人形浄瑠璃文楽。 一九七八年に四世野澤錦糸師匠(人間国宝、故人)に入門して二十年になる三味線奏者の野沢錦彌さんが、師匠の名前を襲名した。国立劇場・文楽協会の文楽養成研修生(三期)が文楽界の大きな名前を継ぐのははじめて。五世錦糸として、四月大阪・国立文楽劇場、五月東京・国立小劇場で晴れの舞台を務める。
披露狂言は「伊賀越道中双六・沼津の段」。三味線がもっと引き立つ演目を、との声もあった。しかし「大夫あっての三味線」と、コンビを組む人間国宝の竹本住大夫師匠が得意とする時代世話物の中から選ばれた。
一六三四年に伊賀上野鍵屋の辻で起きた敵討ちで、助太刀をした剣士・荒木又右衛門でも有名な事件を劇化した作品。「沼津」は全十段の六段目。討つ側と討たれる側にそれぞれ、かかわった親子の悲劇的な再会を描く。
三味線弾きが特に目立つような派手な部分はない。しっとりした情愛を漂わせ語りをきかせる難しい曲。「ごまかしのきかない地味な曲ですけど、浄瑠璃として大好きです」と、意欲と自信をうかがわせる。
一九五七年、東京生まれ。「普通のサラリーマンの家庭」に育った。音楽に目覚めたのは早い。小学生の時に、テレビの音楽番組で知ったローリング・ストーンズなどのロックや、カリプソのハリー・ベラフォンテを聴いていた。かなりの「早熟」。その後、母親の影響もあって、歌舞伎や落語に興味を持つようになった。
三遊亭円生や古今亭志ん生の大ファンで、「志ん生さんのレコードをかけないとねられない」と、今だに「睡眠薬かわり」に落語を聞いているほどだ。
高校卒業後は落語家・金原亭馬之助に弟子入りするつもりだった。ところが、たまたま行った国立劇場で文楽研修生募集のポスターが目に止まった。
「何となくいいなと思って。駄目ならやめればいい、程度の思いつきでしたね」と、見たことも聴いたこともない文楽の世界へ。
三味線弾きを志したのは「もともと弦楽器が好きだった」から。しかし、中学時代に手にしたのはギターやバンジョーなど洋楽系。三味線は一番最後だった。
「細三味線を手に取ってちょっと面白いなという程度」だったが、養成所で太棹の低音に魅せられた。
プロになっても修業はもちろん厳しい。内弟子ではないが、三味線弾きとしての本来の仕事の間を縫って、師匠の家の掃除、洗濯もこなさなければならない。公演でついた役以外の曲を習得したくても、けいこ本もない。師匠から本を借りて、自分で勝手にけいこをする日々が続いた。人一倍のけいこ量で、入門した秋には注目を集めた。
だが、六年目の若手の発表会で、上出来と思った「鳴門」の上演後、師匠にプログラムをまいた雨傘で、いきなり殴りつけられた。後になって自分が慢心していたことに思い至った。
「いい師匠や先輩に巡り合った。注意してもらえたから道を間違わないでこれた。一日でも先輩やったら、必ず得るところはありますから」と、感謝している。
十年目にはそれなりの役がつくようになったが、錦糸師匠が亡くなったのち、門下に入った鶴澤燕三師匠(人間国宝)に言われた「お前の三味線は二級酒やな」という言葉が今も忘れられないそうだ。
「吟醸酒と色は似てるけど、味もコクもない。それでは泣けん、ということですわ」
ただ、テクニックで弾いても登場人物の気持ちを分かってないと吟醸酒にはなれない。
住大夫師匠とコンビを組んだのは、その燕三師匠が病気休演した一九九五年の地方公演で代役に抜てきされたのがきっかけ。翌年から本舞台でのコンビを組んだ。
当初は「間合いから何から、いざ、住大夫師匠とけいこを始めたら、手も足もでない時があった」と明かす。
大夫と三味線弾きは夫婦みたいなもの、とよく言われる。浄瑠璃という芸をいかに作り上げていくか。キャリアは違っても舞台の上では「芸の勝負」、変な遠慮をするとかえって邪魔になるという。
住大夫師匠から「錦彌くんは浄瑠璃が分かる」と聞いたことがあると言うと「そんなことないですよ。若い者にしては浄瑠璃を読み取ろうとしているかな、という程度」と、謙遜でもなさそうな表情で、話し始めた。
「浄瑠璃は奥が深い。ツンと弾くが、そのツンにはどういう意味があるか。次どういう風に語れるか、難しいけれど、これが面白い。でも、それが、なかなか分かるもんじゃないですよ」と、一段と言葉に力が入った。
舞台で三味線を弾く姿からは近寄り難い印象を受けていた。正直言って、ちょっと気難しいかなと思っていたが、飾らない口調に、気さくな人柄がうかがえた。暇があると、小学生の二人の息子さんとキャッチボールをするよきお父さんでもある。
インタビュー・文/前田 みつ恵 撮影/八木 洋一
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