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片岡 秀太郎

KENSYO vol.30
片岡 秀太郎
Hidetaro Kataoka

はんなりとした上方の匂い
〜顔見せと歌舞伎への想いを語る〜

片岡 秀太郎(かたおか ひでたろう)

1941年9月13日、大阪府にて13代目片岡仁左衛門の二男として生まれる。兄に5代目片岡我當、弟は15代目片岡仁左衛門。1946年南座「吉田屋」の禿で初舞台、1956年「河内山」の浪路で秀太郎を襲名。中村鴈治郎とともに、上方歌舞伎を担う存在。かたわら、歌舞伎の普及に力を入れ、関西歌舞伎中之芝居の主宰や若手俳優の養成を目的とした、上方歌舞伎塾の講師として指導にあたる。

雪まじりの風が吹き抜ける頃、南座に今年も顔見世のまねきがあがる。早足の人も立ちどまり、独特の筆づかいで役者の名前が列ねられたまねきを見上げていく。そうして顔見世の芝居が始まると南座界隈は着飾った人たちで賑わい、蒸し鮨や酒饅頭の湯気にまで熱気がまじり、ふくよかな彩りが灯る。
「今年も顔見世へ行きまひょ」
京の人はいう。人々は「見る」だけの受け身ではなく、舞台と一体になるひとときを共にすべく南座へ「行く」のである。

片岡秀太郎さんは、舞台に寄せてくる観客の息づかいをもの心つくかつかない頃から知っている歌舞伎役者の一人である。
秀太郎さんと南座との縁は深く長い。
初舞台は南座だった。五歳の時で、よちよちと出てくる秀太郎さんの禿姿に観客はやんやの拍手を送った。秀太郎さんは、客席からの相手の波を小さな体で受けとめ一体になっていく快感をその時すでに覚えた。
初の顔見世では東西合同で先代吉右衛門劇団の公演、『実録先代萩』で若君亀千代を演じた。初舞台以降、父の十三代目仁左衛門さんのもとで舞台をつづけてきた秀太郎さんだが、この顔見世出演では稽古の時からいつになく子ども心に緊張が高まっていた。三代目中村時蔵さん、中村歌右衛門さん、先代松本幸四郎さん、子役の中村嘉葎雄さんらのなかに送り込まれた関西歌舞伎からただ一人の子役であった。

京育ちの秀太郎さんは、耳馴れない東京弁に囲まれ別の世界へきたようであった。先代澤村宗十郎さんが「抱いて」くれた。抱くは楽屋の部屋へ入れることである。こうして大先輩のみなさんには良くしていただくものの秀太郎さんの張り詰めた気分は舞台で最高に高まり、台詞の合間に気分が悪くなるほどだった。後見の人にくるりと座布団を廻してもらい後向けになり、吐き気を押さえ汗を拭ってもらったりしながらも、しっかり台詞は語った。舞台がすむと、
「よくやったね」
褒められ、滝のような涙を流した。九歳であった。秀太郎さんの歌舞伎役者としての本格的な春秋が始まる。以来、秀太郎さんは顔見世出演をつづけ、子役から数えて今年で四十八回目、最多出演である。


江戸時代、京、江戸、大坂では毎年の暮れに、翌年一年の芝居興行に組まれた役者の番付けを発表した。今のようにテレビや大々的な新聞などなかったので、新規編成の役者たち面々が顔ぶれを見せる興行を打った。これが顔見世の始まりと伝えられている。とりわけ古くから人々に親しまれてきた南座は、どんな時代の推移にあっても、
「南座の顔見世だけは行かなんだら年が明けまへん」
といわれるくらい京都の街に根づき、全国からも観客が訪れ、また、京の師走の風物詩となっている。

南座は平成三年に新装された。外観やぜんたいの雰囲気は昔ながらの風情を残し座席はゆったり、若い人たちも自然に溶け込める雰囲気になっている。顔見世に行く楽しみは舞妓はんたちが華やかな装いでくる「総見」にもある。お正月がきたようなあでやかさである。こうしたはなやぎのうちに顔見世は役者さんたちの「来年一年芝居をがんばります」のアピールともなる。
しかし、昭和三十年代より次第に歌舞伎は東京中心となっていき、顔見世をしても次の年の企画が見えないこともあった。秀太郎さんはむしょうにさみしく、弟の孝夫さんを誘いあちこちへ芝居を観て歩いた。上方にも地方にも歌舞伎を愛する人々がいる、待っていてくれる、という実感はあった。そうして弟は東京へ。活躍をつづけこの度十五代目仁左衛門を襲名した。秀太郎さんは「父に負けぬ良い役者に」と弟を励ました。自身は大阪に住まい、上方歌舞伎の復興を願い、昨年春、松竹が開いた上方歌舞伎塾の主任講師として力を尽くしている。上方の匂い。秀太郎さんはそれを若い人たちに伝えるのに懸命だ。ことばの丸さ穏やかさ。余韻や含み。やわらかな動き。はんなりとした色合い。それは、女形を演じる秀太郎さんが静かに放つ匂いそのものである。来年、第一期生が巣立つ。
「十年、十五年後の上方歌舞伎で、この人たちがしっかりやってくれてますよ」
秀太郎さんは信じている。殆どが歌舞伎の世界が初めての若い人たちだが、
「歌舞伎の面白さを知ったこの人らが、私に信じることを教えてくれました」
育て、信じる秀太郎さんの粘りづよさ。それも上方の心の風土であろう。



インタビュー・文/ひらの りょうこ 撮影/八木 洋一



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