KENSYO>歌舞伎・文楽インタビュー バックナンバー
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KENSYO vol.30
太夫 竹本 住大夫
Sumitayu Takemoto
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竹本 住大夫(たけもと すみたゆう)
7世。1924年10月28日、大阪に生まれる。1946年4月、2世豊竹古靭大夫(のちの山城少掾)に入門、豊竹古住大夫を名乗る。同年8月、四ツ橋文楽座「勧進帳」の番卒で初舞台。1960年1月、9世竹本文字大夫を襲名。1985年4月、住大夫を襲名。
1989年5月、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。1985年モービル音楽賞、1986年芸術選奨文部大臣賞、1987年紫綬褒賞、1993年大阪芸術賞、1994年勲四等旭日小綬章叙勲、1998年恩賜賞及び日本芸術院賞など受賞多数。
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「今世紀最後の通し狂言というので口説かれましてね」と、人間国宝の人形浄瑠璃文楽太夫・竹本住大夫さん。大阪・国立文楽劇場の十一月公演「仮名手本忠臣蔵」で、九段目「山科閑居の段」の前半を語る。当代一の語りに期待が寄せられている。
初演から二百五十年。「どの浄瑠璃も義理人情ですけども、忠臣蔵は芝居らしい芝居やと思いますね」と、人気作品の魅力を言う。
元禄時代に起きたあだ討ち事件をもとに劇化された。執権の高師直に侮辱された塩谷判官は、たまりかねて師直にきりつけるが、後ろから加古川本蔵に抱きとめられ仕留めることはできない。判官は即日、切腹させられる。大星由良助ら家臣が師直の屋敷に討ち入り、本懐を遂げるまでの人間模様がリアルに描かれる。
九段目は、本蔵の妻・戸無瀬が娘の小浪を連れて、山科の由良之助の閑居を訪ねるところから始まる。戸無瀬は由良之助の息子・力弥と許嫁の小浪との祝言を頼みに行く。
「語りだしから難しい。雪が降ってくる山科の情景ださなあかんし。今から、やれるかいなと取り越し苦労してます」と、きさくな話ぶり。
住大夫さんが語る前半は、人形の動きが少なく、精神的なかっとうに重点が置かれている。義太夫、三味線、人形の三業すべてに、かなり高度な技術が要求される。 「九段目いうたら、先輩方がみんな悩んではった」という重要な段。義太夫節の”最高峰“ともいわれている。時間にして五十分の長丁場を一人で語る。
「今の若い人には、ちょっと辛気臭いかもしりまへんけど、親子の情愛や小浪が力弥を思う気持ちを察したら、ほんまに、ええ浄瑠璃でねぇ」と、しみじみ。
実は、二十六年前に「勉強のため」に語ったことがある。三味線の鶴沢寛治さんの指導を受けた。
その時のこと、小浪が結婚を断られて嘆く場面になると「寛治師匠が二言目には、小浪は処女だっせ、処女だっせ、となんべんも言わはるんですわ」。つまり、かわいらしく語れということなのだが、語り込むと、少女らしさが薄れてしまう。
「小浪のかわいらしさ、戸無瀬は夫の名代で刀をさして来ている。きりっとしてないかんし。由良之助の妻のお石とのやりとり。女の気丈夫さ、わが娘への思い、柔らかいとこやら、きついとこやら、大変でっせ」と、すぐにも、けいこを始めたいような面持ちだ。
案の定、コンビを組む三味線の野沢錦糸さんと「早い目にけいこしよう言うてますねん」という。けいこ熱心は若いころから有名で、今も、公演がある度に、現役を引退した兄弟子の竹本越路大夫さんのもとへ、一回はけいこに行く。
幼いころから「浄瑠璃や芝居が大好き」だった。父の先代・住大夫さんの手ほどきを受けたが、大夫になるのは反対され大学へ進学した。そのうち、戦争が始まった。
「送別会で浄瑠璃を語って出征したんですわ。そしたら、そんなに好きやったら、帰って来たら太夫になったらええ、言うてくれましてん」と、終戦後の一九四六年に二世豊竹古靱大夫後の山城少掾に入門した。
「そら、よお怒られた。太夫では僕が一番怒られてるんと違うかなぁ。不器用で覚えが悪かったからね。怒られても自分が得心するまで師匠や先輩のとこへ行きまっさかい、しまいに『あんた好きだんなぁ』と言われました。好きこそ物の上手なれ。下手の横好き、いうのもありますけどな」と、おおらかに笑った。
「本をよう読み、基本に忠実に素直にやってたら、そこに情愛というもんが出てくる。最近そんな事を思えてきました」
一番の転機になったのは、六月に亡くなった高田好胤・前薬師寺管主との出会いだという。一九七一年からのつきあい。同じ年の気安さで、お互いに言いたいことを言い合う仲だった。
「管長の法話にひきつけられました。このお方みたいに人をひきつけられる浄瑠璃語りになりたいなぁとつくづく思いました」と、みんなに分かるように面白おかしく話す管主に触発され、夫婦で写経にも通っていた。
「あの方は僕を友達というてはりましたけど、僕は師とも兄とも思ってます」と、その気持ちは今も変わらない。「お互いに野球が好きで、二人で百五十歳のキャッチボールしよな言うてたのに約束果たさんと旅立ってしまいはった」と、しんみり。
「みんなに長生きして下さいと言われますねんけど。義太夫語りは八十歳までは語れませんやろなぁ。息が短くなって、おなかの力が弱ってきたら考えんならん。七十七、八歳までは舞台で頑張らないかんと思てますけど、やっぱり人間、引き際が肝心です」
エッ?何の話かと一瞬戸惑った。
「毎日が緊張ですが、やっぱり義太夫は奥の深いもんでんなぁ。あくことがない。泣いたり笑ろうたり情を出すのが肝心」と熱っぽく、年齢を感じさせない素顔からは思いもしなかっただけに驚いた。
が、「気は若い」との言葉に、ホッとしたと同時に、「九段目」への意気込みを感じた。
インタビュー・文/前田 みつ恵 撮影/八木 洋一
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