KENSYO>歌舞伎・文楽インタビュー バックナンバー
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KENSYO vol.64
豊竹 咲甫大夫
TOYOTAKE SAKIHODAYU
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豊竹 咲甫大夫(とよたけ さきほだゆう)
1975年4月1日大阪市に生まれる。'83年6月、豊竹咲大夫に師事。'84年10月、文楽協会研究生となる。'86年3月、傾城阿波の鳴門「巡礼歌の段」おつるでデビュー。
'00年「因協会奨励賞」を受賞。'04年第32回文楽協会賞を受賞。'06年大阪舞台芸術新人賞を受賞。
テレビや講演、執筆活動など多方面で活躍。
著書に「豊竹咲甫大夫と文楽へ行こう!」(旬報社) |
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実に精力的な人である。文楽の次代を担う存在の一人として期待がかけられている豊竹咲甫大夫さん。この四月で三十二歳を迎えたばかりの若き太夫は、爽やかで勢いのある語りを舞台で聞かせ、寸暇を惜しんで浄瑠璃と向き合う多忙な日々を駆け抜けている。
「とにかく今は時間がないですね。朝は六時に起きて、寝るのが深夜の二時や三時という生活が続いています。起きてから寝るまでも、分刻みのようなスケジュール。稽古で語って、舞台で語って、こういった取材でも語っているからか、家ではほとんどしゃべらないですね」
国立文楽劇場や国立劇場での本公演や稽古に加え、NHK教育テレビの『にほんごであそぼ』に出演し、大阪市中央区の高津小学校で行われている文楽学習では講師として子供たちに浄瑠璃を教えている。そのうえ、ファッション誌などの取材を受けたり、数多くの公演に企画立案から携わったり、文楽の入門書を出版したり。まさに全速力で突っ走っている印象を受ける。
「ここ数年、本業以外の仕事も増えました。でも、稽古の時間も増えてるんですよ。公演中は、自分が舞台に出ているときと、師匠(豊竹咲大夫さん)が出ておられる時間以外はほとんど稽古場かVTR室にいますね」とエネルギッシュに語り出す。
「外に出て行く機会が増えたことで、自分というものをもっときっちり持っていないとダメなんじゃないか、このままではいかんという不安から、より稽古をするようになったんだと思います。確かにいろんな仕事を数多く抱えていますけど、自分にとっては気分転換になってますし、全てが浄瑠璃につながっている。僕は今、浄瑠璃を語れるということを幸せに思っています」
日々の鍛錬の成果だろう。近年、本公演で役がつくようになってきた。四月七日から三十日まで国立文楽劇場で上演される文楽四月公演では、第一部『玉藻前曦袂』の清水寺の段で、安倍采女之助に取り組む。この作品は、金毛九尾の妖狐・玉藻前の伝説を題材にした物語。玉藻前と名を変える初花姫を妹に持つ桂姫の恋人が、今回語る采女之助だ。
「以前は娘の首(かしら)が多かったんですが、最近は自分の若さを生かせる役も多くなってきました。でも太夫は、何でもできなあきません。いただいた役が今の自分を反映している訳ですから、それに対して常に精一杯つとめる事が大事なんです」
今、咲甫大夫さんにとって“精一杯つとめる”ことが、太夫として進むうえでの大きな指針となっている。何でも、ある同世代の茶道家との会話をきっかけに、その思いを強く抱いたという。
「茶道の世界でいう“侘び”って、質素とか、非常に簡素化されたものというイメージを持っていたんです。でも、お客様に自分ができる精一杯のおもてなしをすることが、千利休の侘茶の精神だと知りました。それは、僕らの世界も同じだと思う。こうやったら上手く聞こえるんじゃないか、こうしたら大きく聞こえるんじゃないかと考えるんじゃなくて、今の精一杯をお客様にお聞かせすることが大事なんだと思えるようになりました」
大勢の観客が耳を傾けている舞台で、精一杯浄瑠璃を語るため、日々積み重ねている懸命な稽古。その毎日が自分を創り、目標である「芸も人間性も含めた意味での“ええ太夫”につながるはず」と、突き進む道の先を見据えている。
浄瑠璃で描き出されるのは、さまざまな人間たちに宿る情。それだけに太夫の芸には、人間性がにじみ出る。
「人間性は出ます。臆病な人は臆病な語りになりますし、自意識過剰も浄瑠璃に出ます。昨年は(人間国宝の竹本)住大夫師匠にお稽古していただくことが多かったのですが、その時“上手ぶって語るな” “素直に語れ”と心の持ちようをよく注意してくださいました。“浄瑠璃は人”ですから、人間性を磨くことも修業。人間力が浄瑠璃力になるという風に思えるようになってきました」
文楽は、太夫、三味線、人形遣いの三業が「戯曲を立体化」させ、緊密な劇空間を創り出す。中でも、登場人物の詞や情景を語って物語を構築する重責を担うのが太夫。「オーケストラの指揮者とオペラ歌手を合わせたような存在ですね」と咲甫大夫さんは言う。
「浄瑠璃の詞章はもちろん、三味線の手数も覚えていないと語れない。作者の意図を汲み取りながら、戯曲を通じて何を訴えるのかとか、どの登場人物を生かすのかとか、舞台全体を分かっていないとできないんです。太夫は、自分自身をあらゆる角度から冷静にコントロールできることが大事だと思う。太夫が冷静になって集中すればするほど、劇場は戯曲の世界になるんです」
奥深い義太夫の道に足を踏み入れてから、二十四年の月日が経った。咲大夫さんに入門したのは八歳のとき。祖父が二世鶴澤道八という三味線の家系に生まれながらも、心惹かれたのが太夫だった。
「祖父の舞台を聴きに行って、太夫に憧れたのが四、五歳のとき。物語の世界や劇場空間を操っている感じが格好良かった。あの感覚って他にないと思います。子供の頃に抱いた気持ちは今も変わっていませんし、未だに太夫よりカッコイイと思えるものはみつかっていません」
インタビュー・文/坂東 亜矢子 撮影/八木 洋一
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