KENSYO>歌舞伎・文楽インタビュー バックナンバー
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KENSYO vol.97
上村 吉弥
Kichiya Kamimura
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上村 吉弥(かみむら きちや)
美吉屋。1955年4月27日和歌山に生まれる。
1973年8月片岡我當に入門。同年10月初代片岡千次郎を名乗り初舞台。1993年11月六代目上村吉弥を襲名。門閥外から歌舞伎の世界に入り、上方歌舞伎に欠かせぬ女方として活躍。南座の歌舞伎鑑賞教室は今年で23回目を迎えた。1986年十三夜会賞奨励賞、咲くやこの花賞、1987年大阪府民劇場賞奨励賞、1997年和歌山県文化奨励賞、2007年国立劇場優秀賞ほかを受賞。
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品のいい美貌に、はんなりした風情。上方らしい古風な情緒をにじませる女形は近年、東西の舞台で大役が相次いでいる。
一月の大阪松竹座「寿曽我対面」では、立女形が勤めるとされる大磯の虎、四月の市川海老蔵特別舞踊公演(京都・南座)では「吉野山」の静御前、五月の南座「歌舞伎鑑賞教室」では、舞踊「色彩間苅豆」のヒロイン、かさね…。
なかでも今年二十三回目を数えた歌舞伎鑑賞教室は、「自分を育ててくれた公演」と感謝を忘れない。
第一回は平成五年、襲名前の「片岡千次郎」時代だった。「最初、お話をいただいた時は震えました。この私が一人で南座の舞台に立っていいものかしら、という畏れ。でもこの舞台で大きなお役を勤めさせていただくうちに自分の中身がふくらんでいくのを感じました」
忘れられない記憶は平成二十一年、女形舞踊の最高峰「京鹿子娘道成寺」の白拍子花子を勤めたとき。劇中、花子が花道で、鐘を見込む振りがある。「その時、ここでどれほどの先輩方がこうして鐘を見たのだろうと思うと、限りない感慨が押し寄せてきて…」
ほかにも「お夏狂乱」「藤娘」など数々の大曲、人気曲を勤めてきた。「この経験がないと、いまの自分はありません。本公演で静御前を勤めさせていただくこともなかったでしょう」ときっぱり語る。
歌舞伎とは無縁の和歌山の一般家庭で生まれ育った。子供の頃から歌舞伎専門誌「演劇界」を布団にもぐって読みふけることだけが普通の少年と違っていた。歌舞伎の衣装や舞台の独特の色彩美に魅せられる。次第に役者ではなく舞台装置家になりたいという夢がふくらみ、中学生の時、初めて本物の歌舞伎を見に行く。その後、高校生の時、今の師である片岡我當ら松嶋屋一門が出演していた地元和歌山での巡業の舞台を見に行った。
それが、運命が変わった瞬間だった。
客席から舞台写真を撮っていたところ、ある上品な婦人に「写真を撮ってはいけないのよ」と教えられ、「そんなに歌舞伎が好きなら」と楽屋に連れていってもらった。その婦人こそ、上方歌舞伎の再興に尽くした人間国宝、十三世片岡仁左衛門夫人。楽屋には、十三世の長男の我當、次男の秀太郎らがいた。やがてさまざまな縁が重なって我當に入門、歌舞伎俳優「片岡千次郎」が誕生する。しかし、歌舞伎は門閥や家柄が重視される世界。御曹司でない限り、なかなか大役はつかない。
「でもね、好きな世界にいられるだけで幸せでした。それに何も知らないですから毎日が覚えることばかり。まず礼儀作法、師の御世話。それから衣装の着方、お化粧の仕方…。無我夢中で過ぎていきました」
やがて生来の美貌と稽古熱心さで弟子たちの勉強会「若鮎の会」(現在の『上方歌舞伎会』)でも頭角を現していく。
平成五年、上方歌舞伎の貴重な名跡「上村吉弥」を襲名。「この私でいいのかしらと悩みました」。上方歌舞伎は実力主義を標榜する。とはいえ、その当時、弟子の立場から幹部の名跡を襲名した例はほとんどなかった。
「旦那(師の我當)は、『次の人たちの希望の星になるよう、このありがたい襲名のお話をお受けしたら』と。その時、そうだな、この襲名は私一人の襲名ではない、と思いました。おこがましいのですけれど、次に続く人たちが出てこられるよう、今、私が襲名させていただいて頑張らねばと思ったのです。一番ありがたかったのは、松嶋屋という、いろんなお役をつけてやろうという気風のおうちに入門させていただいたことですね」
いまや、「封印切」のおえん、「吉田屋」のおきさのような上方の花車方から、義太夫狂言の女房や老母、さらには坂東玉三郎の「天守物語」に奥女中・薄役で泉鏡花作品独特の妖しい気配をにじませるなど、幅広い役どころで存在感を見せている。
「玉三郎さんには、芝居とは何たるかということから、女形の身のこなし、頭(鬘)の形、衣装の着こなしなど本当にさまざまなことを教えていただいておりますし、お役を勤めるときは隅々まで気を配らなくてはならないとも」
六月の大阪松竹座では片岡愛之助主演の「鯉つかみ」に呉竹役で出演、七月の東京・歌舞伎座では「牡丹燈籠」のお米に初役で挑む。
「いろんなお役をさせていただけるのはありがたいこと」と頬を緩ませながらも、「ただ、せっかく関西に生まれたのですから、今後も上方歌舞伎を中心に、まわりの相手役さんに必要とされる役者≠ナありたい」。
近年、再興の気運が見える上方歌舞伎。しっとりした色香と確かな演技力で舞台を豊かに盛り上げる。
インタビュー・文/亀岡 典子 撮影/八木 洋一
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